目の前で起こりうる事象はすべて自分にとって必然で必要なこと

自立している人?に対してどれほどの支援が必要なのだろうか。
ふと、そんな疑問がわいてくる。まあそんなことを言ったって、施設を利用してるんだから、支援は必要でしょっ。って声が頭の中から聞こえる。
いやでも、施設の支援はなにも直接何かをすることだけではないだろう?その場を提供していることも立派な支援ではないのだろうか。
例えば、彼らが取り組める仕事を提供する。周りの人たちとともに、小集団を作り上げ、社会の縮図(ちょっと異な感じだけど)を提供し、そこで起こる人間関係の問題などに対して支援の介入をする。まあそんなことか?
ぐるぐるぐるぐるして、ぶれとると思われるけど、それが僕だし、そんなにこんな難しい仕事一本筋の通った決断ってできんわー。
弱音をはきました。
こんなことを考え始めて、いつも通る一つの“考え方”は「そもそもぼくらがかれらに何か支援せなあかんなどど思ってるのはおこがましいだろう。ともに時間を過ごす中でsosを感じたときにそっとさりげなく手を差し伸べればいいのではないか?」ということです。
放任ちゃうよ、決して。
なーんか、利用者と支援者っていうヘンテコな枠組みなんかなくせばいいのに。
ま、これもひとつの考え方です。

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by glassart-lemon | 2016-09-08 21:28 | 松前勝洋 | Comments(0)